社長の出張日誌

こちらでは、社長が海外を含めた出張時に出会った風景やエピソード、これまでのよもやま話をご紹介します。

のんびり更新して参りますので、どうぞご期待ください。

Vol 20【低価格玩具を作りました】

あるチェーン店様から低価格玩具を要望されました。
低価格玩具(雑玩)は、初めての試みでした。
何アイテムかのエピソードを載せます。

2015年から低価格玩具を発売しました。
初めての経験です。
100円台の低価格玩具のため、コスト計算がシビアになります。

<発売時期>
第一弾 2015年
    ビー玉、おはじき、ガラス玉

第二弾 2016年~17年
    紙製トランプ、カラーボール

    2018年
    風船

第三弾 2019年
    カラーボール・スーパーボール

【第一話 紙製トランプ】
2016年10月20日
HONG-KONG MEGA SHOW(展示会)を視察しながら、紙製玩具を作ってくれる工場へ商談に行きました。

香港を経由して、中国 広東省深圳市に到着。
着いてすぐに王さんと友だち、友だちの息子さん、4人で夕食です。
私が好きな「紹興酒」を用意してくれました。(うれしい!ありがとうございます)

10月21日
光る玩具を作る工場を訪問しました。
お風呂で遊ぶあひるの玩具(フラッシュダックアヒルちゃん)について商談しました。

この日、台風が深圳市を直撃したため、商談を早めに切り上げてホテルへ戻りました。
(翌朝までじっと辛抱です)
深圳市に台風が直撃するなんて!以前には無かったことです。(異常気象?)
風が強く、電車は、運休。学校も休校。雨風強い!初めての凄い経験となりました。

10月22日
台風一過、朝からトランプ工場へ行きました。
友だちに事前に連絡を入れてもらった工場です。
商談するのは、初めてです。(緊張します)

香港の商社からの注文で日本へ出荷することもあるそうです。
日本企業のノベルティも請負うそうです。ショーケースによく知れた日本企業名入りのトランプがありました。

トランプの厚みや紙質など、いきなり深い話になりました。担当者は、とても熱心な方でした。
仕様が決まり、後日見積りをいただく事に致しました。

その後、私は、香港へ移動。翌日からHONG-KONG MEGA SHOWに参加しました。

10月23日
<HONG-KONG MEGA SHOW>
事前に訪問することを約束していた5社のブースへ行きました。
相変わらず、私はカタコトの英語。(少し、恥ずかしい)

日本へ戻り、トランプ工場からの見積りを待ちました。
いただいた見積り、数回やり取りをして、少し価格を調整いただき、発売できるようになりました。

2017年1月10日
HONG-KONG Toy&Game SHOW視察の合間に再びトランプ工場を訪問しました。
製品サンプルが完成していました。とても良い出来です。(謝謝!)

2017年4月(中国のお正月休みをを経て、トランプが日本に到着)
株式会社クニヨシ 紙製トランプを発売致しました。(およそ6ケ月かかりました)
ありがとうございました。


【第二話 風船】
2017年、同じチェーン店のバイヤーと商談し、風船を発売することになりました。

10月19日 私は、香港へ飛びました。
HONG-KONG MEGA SHOW(展示会)で風船製造社を探すことにしました。
10月20日 会場を丹念に歩きました。
なかなかここだ!という風船製造社と出会えませんでした。

夕方、そろそろ閉場になります。そんな時、台湾の風船製造社と会いました。
会場が閉まる時間だったため、後日 台湾へ伺う約束をして、会場を後にしました。

メールでのやり取りをして、風船の仕様(パッケージ)が ほぼ決まりました。
満を持して(?)12月4日に台湾へ向かいました。
到着した日に クリスタルガーデンの製造社を訪問し、翌日 風船製造社を訪問しました。


風船製造社は、台中(台湾の真ん中)に会社がありました。
台北から新幹線(日本の700系です)に乗って、およそ2時間で到着。
駅まで担当者(女性)が迎えに来てくれました。
「ひとりで来たの?」と聞かれました。私は、「Yes!」 彼女は、えっ~という顔でした。

彼女の会社で日本語の通訳を交えて、商談しました。
こちらの製造社は、日本で有名なメーカーの風船を委託生産しているそうです。
品質も良く、日本玩具協会のST検査のことは、私より詳しかったです。
納期を2018年3月で依頼しました。私は日本へ帰国しました。

2018年1月
私は、HONG-KONG Toy & Game Fairで風船製造社と商談。
日本玩具協会のST検査をすると3月の発売は、無理と結論しました。

2018年3月
私は、再び台中を訪問しました。
特に大きな問題は、ありませんでしたが、何度もお会いすることが必要だと考えました。
製造は、順調でした。
バイヤーとの商談で4月下旬の発売が決まっていました。
私は、製造社に3月末に日本へ着くように強く依頼しました。

4月上旬に日本玩具協会のST検査に合格し、予定通り4月末に風船を発売致しました。
ありがとうございました。


【第三話 カラーボール・スーパーボール】
2016年に同じチェーン店のバイヤーからスーパーボールを販売したいと連絡をいただきました。
当時発売していたカラーボール2個入がコストアップで製造打ち切りを予定していました。
スーパーボールと同じ時期にカラーボール2個入を1個入に変更することことになったため、
私は、この2品の準備に取り掛かりました。

予想以上に製造コストが上がっていました。原材料と人件費がアップ。
なかなか折り合いが付く工場が無いまま、2年が過ぎました。
2018年、広東省 汕頭市の商社と折り合いが付きそうになりました。

2019年1月
私は、汕頭市の商社を訪問しました。
すでに仕様書を送っていました。今回は、
(1)日本玩具協会STマークの検査方法について
(2)納期について などが打合せ内容です。

STマークの検査は、(中国の)製造社が直接 日本玩具協会指定の検査機関へ製造した玩具を送ります。
メーカー(弊社)を経由して、中身がすり替えられたり、偽装されないためだとか。
きちんとしていますね。

こられの商品は、発売日が決まっていました。そのため、いつ完成品を検査機関へ送ってもらえるかを確認しました。
途中、発送した完成品は、香港を経由したため、予定より1週間遅れて検査機関へ玩具が届きました。
この検査にパスしないとSTマーク玩具は、輸入することができません。
合格証をいただくまで、ひやひや致しました。
今回は、スーパーボール、カラーボールの2品、心配も2倍でした。

2019年4月
スーパーボール、カラーボールの2品、STマークの検査に合格しました。
2品同時に発売致しました。みなさま、ありがとうございました。

(この後、コロナウイルスのパンデミックが発生することも知らずに!最上の満足感を得ました!)


Vol 19【茨城空港から上海へ飛んでみた】

茨城空港から上海浦東空港まで就航している春秋航空に乗ってみることにしました。
東京駅 八重洲から茨城空港までバス(片道500円)で行けると聞いて、試しに乗りました。
今回、上海、広州市、深圳市、香港へ行って来ます。

日程に余裕がある時、茨城空港から上海へ旅行するのは、良いかも知れませんね。

<2018年4月24日>
八重洲から およそ1時間で茨城空港に到着。
深圳市の友達に免税店でIQOS(加熱式たばこ)を買ってきてと言われましたが、ここには無かった。
残念!
代わりにハウス バーモントカレーやグミキャンディをおみやげに購入しました。
カレールーは、中国人に人気があるんですよ。

夕方5時頃、上海浦東空港に到着。今夜は、大先輩方(ひとり後輩)と会食。
空港からタクシーで来いと言われまして、タクシーに乗りました。
夕方の渋滞で恐ろしく時間がかかり、大遅刻、申しわけございません。
(通常1時間のところを2時間ちかくかかりました)

渋滞しない電車の方がよかったと、深く反省した次第です。
もちろん 会食では、昔話に花が咲きました。
(上海なのに、和食!とても美味しかったです)
ありがとうございました。

メンバーは、4人、HK大先輩、NK大先輩、HS後輩、私です。
上海でこのメンバーで食事していることが夢のようでした。

HK大先輩は、中国で串に刺したおでん(関東煮)を考案し、販売した方です。
(1996年頃の話です)
今では、串刺しおでんは、中国のどのコンビニで見かけますね。
(香港や台湾のコンビニでも)

当時、このおでんが大ヒット!売れに売れたそうです。
あまりに売れすぎて、HK大先輩は、食材手配に遁走したそうです。

HK大先輩は、還暦から数年たった2022年 天国へ召されました。
とてもお世話になりました。合掌、ありがとうございました。

<4月25日>
お昼頃、私は、地下鉄で上海虹橋国際空港へ向かいました。
今回は、のんびり旅です。
広州白雲空港から地下鉄で予約したホテルがある広州駅へ行きました。
ホテルは、駅から15分。石畳の歩道をキャスター付きのスーツケースで歩くのは、けっこう疲れました。

チェックインして、広州駅周辺を散策。生地(布)問屋さんがたくさんありました。
欧米人も歩いていました。広州は、国際都市なんですね。

<4月26日>
朝から広州交易会へ行きました。
地下鉄の車内で親切な中国人に座席を譲られました。かなり疲れているように見えたのかな?
ありがとうございました。

さすがに会場でスーツケースを持ち歩くのが面倒になって、知り合いのブースで預かってもらいました。
助かるなぁ。ありがとう。

午後4時、広州東駅から高速鉄道(新幹線)に乗って、深圳市へ。羅湖駅 近く(徒歩15分)のホテルにチェックインしました。
友達と夕食を共にしました。いつも来てくれてありがとう。

<4月27日>
午前8時
広東省深圳市 羅湖駅 近くのホテルをチェックアウト。

午前10時30分頃 香港GIFTショーの会場へ到着。
このコンベンションセンターは、とても広く2~3時間で足がパンパンになります。

午後2時 会場を後にし、香港国際空港から帰国しました。
今回も密度の濃い出張でした。みなさま、ありがとうございました。


Vol 18【お取引先様を台湾へアテンド】

2017年 お取引先様を台湾へアテンドすることになりました。
しかし、私は、上海の大先輩とお会いする約束、紙製3Dパズルや光りモノ玩具の進捗確認を先に予定していました。

そこで、弊社 営業責任者とお取引先様で先に台湾へ飛んでいただき、私は後から合流することにしたのです。

<3月6日 上海浦東国際空港へ>
午前10時頃 羽田空港からスターフライヤー機で関西国際空港へ。午後0時頃 春秋航空で上海浦東国際空港へ。
午後2時30分頃 上海浦東国際空港へ到着しました。

ホテルにチェックイン後、大先輩と上海に住む日本人の間では有名な漣波(さざなみ)で会食しました。
中国でおいしい刺身が食べられるなんて!不思議なしあわせです。
ありがとうございました。

<3月7日>
午前10時頃 上海虹橋国際空港から広州白雲空港へフライトです。
空港まで紙製3Dパズルのメーカー様が迎えに来てくれる予定です。
私は、クルマが入れるエリアで待っておりました。
その時、声をかけるクルマがありました。私は。てっきり紙製3Dパズルのメーカー様のお迎えと勘違いし、クルマに乗り込みました。
クルマは、走り出しながら、いきなり料金表を提示。えっ?・・・白タクだ!
やばいと思った私は、「Stop!」と叫びましたが白タクは、止まってくれません。
後部座席から運転席のシートを蹴り、クルマを止めさせました。まだ空港の敷地内でよかったです。

その後、無事に紙製3Dパズルのメーカー様に会社まで送っていただきました。ありがとうございました。
(3Dパズルのメーカー様の会社で友達と合流)

こちらの紙製3Dパズルは、パソコンでデザインして、レーザーで厚紙をカットする製法です。
カラフルでかっこいい紙製3Dパズルなんです。

広州市での商談を終えて、友達のクルマで東莞市のぬいぐるみ工場で商談。
夜は、深圳市の光りモノ玩具工場を訪問、本格中国料理のディナーです。
疲れた体に青島ビールが沁みました。

<3月8日>
今日は、日本からお取引先様が台湾入り。
私は、深圳市から香港を経て、台湾へ移動するだけ。
観光できる!


私は、香港の道教寺院 黄大仙へ行きました。私の好きな場所です。
黄大仙は、パワースポットとして紹介されています。中に入ると長い黄色い線香を持ち、熱心に祈る方がたくさんおられました。
境内を散歩すると気持ちが落ち着きます。

夕方、私は、台北に到着。西門のホテルでお取引先様、弊社 営業責任者と合流できました。

<3月9日>
今日は、ケミカル玩具のお取引先2社を訪問商談しました。
アテンドしているお取引先様にも製品の良さをわかっていただけました。ありがとうございました。

夕方から 西門を散策し、食事です。
台湾の蒸し暑さでビールが進みました。

<3月10日>
昼食後、二手に分かれて帰国です。
・お取引先様(弊社 営業責任者)松山国際空港から羽田空港
・私 桃園国際空港から成田空港

事故無く、楽しい出張でした。ありがとうございました。


Vol 17【2017年春 広州交易会と香港Giftショー】

私、広州交易会と香港Giftショーへは、今まで香港から中国へ入国することが多かったです。
今回は、効率(?)を考えて、目的地 広州白雲空港へ行くことにしました。
(LCC 春秋航空が格安で日本と中国をつないでくれているおかげです)

(今回のポイント)
深夜の上海、上海浦東国際空港から予約したタクシーで上海虹橋国際空港へ移動しました。
飛行機が遅れたらアウト!かなり無謀な計画だったと思います。
(よいこのみなさんは、決してマネしないでください)
もちろん中国のタクシーを予約するのは、初めての経験です。

<4月24日>
午後11時に 私は、羽田空港に到着。深夜 羽田空港からのフライト、これも初めてです。

<4月25日>
午前0時頃、羽田空港を出発、午前3時頃 上海浦東国際空港へ到着しました。
30分後、予約したタクシーに乗車。(安堵!)上海虹橋国際空港 第二ターミナルまで約1時間。
トラブルなく到着しました。ありがとうございました。

上海虹橋国際空港 午前6時30分発 広州白雲空港行きの春秋航空に乗りました。
無謀な割にスムースに広東省広州市へ着きました。感謝です。

広州白雲空港行から地下鉄で広州交易会場へ行きました。
広州市は、地下鉄で空港から移動できるので便利です。

午前10時過ぎに展示会場へ着いて、多くのブースで情報交換しました。
会場には、欧米からのバイヤーも多く、とてもにぎわっていました。

今夜は、広州市に宿泊です。海珠橋ちかくのホテルを予約しました。
海珠橋は、夜のライトアップが素敵です。(また来たい!)
翌日、朝市のような光景も見ました。みなさんの憩いの場所なんでしょうかね。

<4月26日>
紙製3Dパズルの業者様を訪問します。
中国人の友達と現地集合です。

ここでトラブル。ホテル前で乗ったタクシーに大回りされました。20分で着くコースを1時間、考えられない出来事でした。
私を乗せたタクシーは、こんなところで降ろされたら絶対に次のタクシーなんて拾えない、そんな道路を走りました。
あきらめました。
さらに着いてからチップまで要求されました。こういう時、言葉が通じないと困りますね。
徒歩で4km(約1時間)程度は、歩いた方が良いと思いました。

紙製3Dパズルの業者様と商談し、広州東駅から高速鉄道(新幹線で)深圳駅へ。
イミグレーションを経て、香港 尖沙咀(チムサチョイ)へ。香港、とても落ち着く!安心!

<4月27日>
尖沙咀からフェリーで香港Giftショーへ。
クリスタルガーデンの製造者と意見交換したり、おもしろそうな商品を探したりしました。
出展社が多く、会場が広いので夕方には、歩き疲れます。

<4月28日>
本日、帰国ですが、気になる業者との打合せの為に香港Giftショーへ。
じっくり話をして、午後の便で日本へ帰国しました。
ご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。


Vol 16【台湾・深圳・東莞】

2014年頃から航空券やホテルがインターネットで簡単に予約できるようになりました。
旅行代理店に行かずに済むので便利ですね。

2015年商談で3つの地域(深圳市・東莞市・台北)を回ることにしました。
(日本人的な効率重視策です)

航空券は、往復だと安くなります。
私は、
成田(バニラエア) ー 台北桃園(香港航空) - 香港
往復で予約しました。

<2015年9月23日>
成田国際空港で7時15分発台北桃園国際空港 行 に乗りました。
台北桃園国際空港から香港行きに乗り換えです。
一度、台湾に入国してから香港航空に乗り換えます。

バニラエアは、台北桃園国際空港 第一ターミナルに到着。
香港航空は、 第二ターミナルから出発。
第一ターミナルと第二ターミナルは、スカイトレイン(シャトル列車)で移動できます。
普通は、あまり利用しないと思いますが、とても便利でした。
(時間がある時、2つのターミナルをお散歩するのも楽しそうです)



香港国際空港に着いてから 二階建てバスで上水駅へ。
MTR(列車)に乗り換えて、羅湖駅で下車。
イミグレーションで通関して、深圳地下鉄 羅湖駅から友達が待つ吉祥駅まで行きました。
(地下鉄に約1時間乗車)
吉祥駅についた頃には、午後5時。半日かけての移動にとても疲れました。
そして、ひとりで海外は、緊張しますね。

ホテルにチェックインし、友達&王社長と会食。
ほっとできるひと時です。
いつもごちそう様、ありがとうございます。

<9月24日>
深圳市内の光りモノ玩具の取引先を訪問。
社長室でお茶をいただきます。
お茶は、中国で最高のおもてなしだそうです。
(普通は、ミネラルウォーター1本)

その後、東莞市のぬいぐるみ工場を訪問。
オーダーしたぬいぐるみの進捗を確認しました。

深圳市に戻って、食品商社を訪問。
そのまま、夕食へ招待されました。
福建省からポルシェに乗って商談に来た問屋さんご一行とご一緒しました。
(言葉がわからないので談笑についていけませんでした、悲しい)
私が中国語を話せていたら、もっと違った人生になったかも知れません。

<9月25日>
早朝に深圳市から香港国際空港へ移動しました。
香港国際空港から 9時30分発 台北桃園国際空港に乗りました。

クリスタルガーデンの製造者が台北桃園国際空港まで迎えに来てくれました。
ありがとうございます。

午後、クリスタルガーデンの製造者と商談。お会いするのは、3回目です。
10月の香港MEGAショーでお会いすることを約束しました。

続いて、紙製の木に特殊な液体を入れると擬似桜が咲く製造者を訪問しました。
なんと、クリスタルガーデンの製造者がこちらまでクルマで送ってくれました。ありがとうございました。

ケミカル玩具は、簡単な構造なのですが、変化していく形が とても楽しいと思います。


<9月26日>
ホテル近くのバス停から台北桃園国際空港へ向かいました。
当時、MRT空港線が開通していませんでした。
バスが一番便利だったのです。乗ったら空港終点ですし。

密度の濃い商談を終えて、私は、帰国致しました。
みなさま、ありがとうございました。


Vol 15【2018年6月 表敬訪問で北京へ】

話せば長くなりますが・・・

2017年
お世話になった方(恩人)が北京へ行かれました。
その方には、2004年~2008年
サークルKサンクス(当時 バイヤー)で玩具についていろいろ教えていただきました。
この方の指示で作った玩具は、とても売れました。私は、リスペクトしました。

水に浸けて育てるたまごや干支のぬいぐるみなど、貴重な意見をいただき、感謝申し上げます。

その後、台東区蔵前の玩具商社へ移られ、更に青い看板のコンビニに入社。
いきなり中国の北京事務所へ異動されました。
(私が2003年まで務めていたコンビニです)

当時 運よく、親しい先輩も北京事務所にいました。
私は、その先輩を経由して、恩人とのアポイントを得ました。
2018年6月、私は、広東省に立ち寄った後に北京へ伺いました。

<6月24日>
私は、中国へ飛びました。
成田空港 → 香港空港 → (二階建てバス)上水駅 →
(NTR鉄道)羅湖駅(広東省深圳市) 到着

友達が羅湖駅まで迎えに来てくれました。
その夜、王社長と友達、その友達と楽しく会食しました。
(いつも歓待してくれてありがとう)

・中国の会食は、友達の友達が急に参加します。
多くの方と知り合いになれます。

<6月25日>
朝から友達のクルマで広東省東莞市のぬいぐるみ工場へ行きました。
干支のぬいぐるみの打合せです。

その後、『平常(ピョンチャン)駅』から特急に乗って香港 ホンハム駅へ。
特急の本数は、少ないそうです。乗れてラッキー!快適でした。

ホンハム駅前でタクシーに乗り、次の商社へ向かおうとしたところ、ドライバーに「距離が近すぎる」と乗車拒否されました。
(直線距離で徒歩20分くらいです)
人が見ている前で車内に置いたカバンを路上に投げつけられました。(外国なんだなあ~)
仕方なく、歩いて商社へ向かいました。
午後5時頃、まだ営業しているといいんだけど・・・

私は、スマホの地図アプリで目的地を探しますが、なかなか見つかりません。
つたない英語で人に道を聞き、なんとか午後6時頃、商社に到着しました。
(迷いに迷った!)
会社開いてるかな?開いてた!ありがとうございます。

私は、商談を終えて、香港国際空港に隣接するホテルへ。(ちょっとだけ贅沢?)
明日、生まれて初めて北京へ向かいます。
朝一の便(午前5時台)を予約しました。

<6月26日>
予定の便(香港航空)で北京へ飛びました。午前10時到着。

『余談ですが・・・』
・北京首都国際空港は、LCCの乗り入れがありません。
『誰でも来れるところじゃない』的な、他の都市と格の差を感じました。

 香港から北京は、
 日本の稚内市から鹿児島市くらいの距離です。

 <香港から北京>
 1990km(フライトおよそ3時間)

 <稚内市~鹿児島市>
 1811km(フライトおよそ2時間40分)

・北京は、ローミング状態でもスマホでGoogleを見れません(もちろんマップも)。
道に迷った時、不便でした。

北京で先輩、恩人にお会いする前に 光る玩具の工場を視察。
空港まで迎えに来てくれました。とても丁寧な方々でうれしかったです。
(北京の人々は、とても礼儀正しい印象です)

商談後、ホテルまで大きなRV車で送ってもらいました。
ホテルは、故宮に近い王府井(ワンフウチン)。

狭い道を幅の広いRV車で壁や止めてあるバイクなどに当たらぬよう、慎重な運転。
とても時間がかかり、たいへん申しわけなく感じました。心から御礼申し上げました。
おかげで はじめての『北京』は、とても良いところと感じました。

やっと、お会いできる!
私は、午後6時の待ち合わせに間に合うに地下鉄に乗りました。
北京の地下鉄は、歴史がありそうです。建物の重みを感じます。

地上に上がり、教わった通りのビルに行きましたが、そこに青い看板のコンビニ事務所が無かった。
電話で再度 行き方を教えていただき、「えっ?ここが入口」からビルに入場しました。
エレベーターで指定階へ。先輩と恩人の顔を見て、ほっとしました。
おふたりと中国の情報交換をして、楽しい時間が過ぎました。
ありがとうございました。

<6月27日>
帰国です。午後4時の便で日本へ。

観光を予定していましたが・・・
暑い!38.6度。無理。
私は、北京首都国際空港で涼むことにしました。

長い時間待ちました。やっと搭乗案内です。しかし荷物検査場で止められる。
スマホの充電池がCE(EU加盟国)の安全基準ではないということで没収。
他の空港で没収されたことないのにね。

思い出に残る旅でした。ありがとう!


Vol 14【深圳から上海へ】

2015年6月22日から25日の四日間、
卸問屋の社長と中国を視察しました。

「なるべく安い旅費で」との要望をいただきまして、LCCを利用したツアーになりました。
中国語がしゃべれないふたりして、中国国内を飛行機、鉄道でおよそ1500kmを移動しました。

■6月22日
 成田空港からバニラエアで香港に入りました。
 香港空港から二階建てバスで「上水駅」へ。
 上水駅からMTR東鉄線に乗り、羅湖駅で下車。

 香港、中国ふたつのイミグレーションを経て、中国へ入りました。
 羅湖駅から15分ほど歩いて老街のホテルにチェックイン。
 地場コンビニで飲み物を買い、部屋で休憩、ほっとする瞬間です。

■6月23日
 今日は、友人(中国人)のアテンドで広東省東莞市の工場を視察します。
 香水工場、ぬいぐるみ工場、シリコン製品工場などを見させていただきました。
 ありがとうございました。


 夕食は、友人の友人も駆けつけて、盛り上がりました。
 日本で生活したことがある方々でしたので、日本語で会話できました。
余談ですが、レストランで紹興酒の扱いがなかったので、友人の友人が酒屋へ紹興酒を買いに行ってくれました。
 心遣いに感謝申し上げます。

■6月24日
 今日は、広東省深圳市から浙江省杭州市 経由 海寧市の工場視察です。
 午前8時、バスターミナルで深圳宝安空港行きのバスに乗車。
 スムーズにチケットが買えました。よかった。

 春秋航空に乗り、深圳宝安空港から杭州蕭山空港へ無事に到着。
 本日 訪問する工場の方がクルマで迎えに来てくれました。
 日本語が話せる方だったので緊張せずに済みました。

 今回伺った工場は、マスクや防虫用品を作っている工場です。
 製造ラインでは、日本でも有名な企業の製品が作られていました。
 品質が良いのですね。発注単位は、コンテナ(20Ft、40Ft)単位だそうです。

 今夜のホテルは、浦東国際空港横です。
 明日、帰国します。すぐに空港へ着けるように空港に隣接するホテルを予約していました。

 昼食後、我々は海寧西駅から高速鉄道で上海虹橋駅へ行きました。
 さらに地下鉄、リニアモーターカーに乗って、ホテルへチェックイン。
 充実した日程でした。

 夕食は、卸問屋の社長が取引している中国人に招かれました。
 「火鍋」にビール、時間を忘れるひとときです。


■6月25日
 浦東国際空港から春秋航空で関西国際空港へ向かいました。
 たまたま成田空港への直行便が無く、この道程となりました。

 関西国際空港でお寿司を食べました。
 やはり、生ものは、おいしいですね。

 食後、551の豚まんなど、おみやげを買って、成田空港から帰宅しました。
おみやげの『豚まん』を見た家内にどこへ行ってきたのよ!と、言われました。
 事故無く帰れてうれしいです。皆様ありがとうございました。


Vol 13【ご自宅へ招待】

2015年1月

弊社製品ほのぼのゴマフちゃんの製造確認のために広東省深セン市へ行きました。
この頃、工場従業員は、制服を着用。
工場内も比較的清潔で「安かろう、悪かろう」の中国製品イメージが無くなりました。

製造は、順調でした。
すでに箱詰め作業に入っており、船積み予定日に間に合うとの回答を得ました。

我が社は、できるだけ製造現場へ足を運んで、製品の状態を確認します。
製造者との意思疎通も取れますし、新製品のアイデアをいただくこともあります。

私が安心したところで、アテンドしてくれた友達からご自宅へ招待されました。
家で夕食を食べようと提案されました。
中国人の家へ行くのは、初めてです。

着いたところは、40棟もある高層マンション。
建物は、20階以上です。
プールやジョギングロード、体育館もある、とても立派なマンションでした。

家に上がる時、驚いたこと。
ドアを開けて、またドアがある。
泥棒除けのための二重ドアに改造したそうです。
ほとんどの中国人は、二重ドアに改造すると聞いて驚きました。
日本では、二重ドアの家、ほとんど見かけませんよね。

友達は、仕事を片付けに一旦 会社へ戻りました。
えっ?奥様とふたりきり?と思いましたが、北京からお母様が来られており、2時間ほど筆談を楽しみました。
お母様は、中国語の繁体(古い漢字)もお分かりになるため、スムースな筆談でした。


中国のドラマで女優の胸が出すぎていると、翌週から政府の指示で胸が写らないように画像編集されるなど興味深い話をお聞きしました。
文字で書くと「胸開放」(胸の部分が開きすぎている)なのだそうです。

夕方、いつも夕食をごちそうになる王社長もみえました。
王社長は、こちらのご常連(?)だそうで、マイボトルが置いてありました。

友達も帰宅、たのしい夕食が始まりました。
お料理は、煮物もあり、脂っこくなく、美味しかったです。
私は、王社長の乾杯攻撃を受けました。
王社長のマイボトルは、すぐに無くなりました。
その後、友達が出してくれたビールや梅酒も無くなり、気分良くご自宅を後にしました。

王社長から「今度は、白酒(アルコール度数の高い中国の蒸留酒)で乾杯しよう」と言われました。
その時は、「明白了(わかった)」と言いましたが、翌年 それが成就することになるのです。


Vol 12【新鮮な鶏料理】

16年7月
私は、中国へひとり出張しました。
広東省深セン市で友達と合流し、同じ広東省 東莞市のぬいぐるみ工場へ製品の打合せに行きました。
(深セン市から東莞市は、クルマでおよそ1時間半の距離です)



この工場は、ヨーロッパ向けにぬいぐるみを製造している工場です。
日本との取引は、ほとんどありません。
我が社のように少量で複雑な梱包のオーダーを受けていただき、感謝しています。

打合せが終って、近くにあるパソコン用品やLED電飾ライトを作っている工場を訪問しました。
この工場は、日本メーカーの製品を受託生産していました。


日本の家電店でよく見かける有名メーカーのパッケージがありました。
この一帯の工場では、日本からの依頼で製品を作っている工場がたくさんあるそうです。
いろんなお話を聞けて、有意義な一日でした。

一日が終り、夕食の時間です。
友達が「今日は、新鮮な鶏肉料理を食べに行こう」と言いました。
私は、「新鮮な」の部分が引っかかっていました。

王社長もお誘いして、3人で出かけました。
クルマは、町を離れてどんどん山の中へ。
約1時間走り、たどり着いたのは、一軒の農家。

クルマを降りて、中へ入ると番犬のお出迎え。
その後ろを放し飼いの鶏が群れを成して歩いています。

農家の方に案内されて、母屋の裏手へ行きました。
まるでキャンプ場のようなトタン屋根にテーブル。
夏風が吹くと涼しい。
アウトドア風で開放的でした。


まず、野菜炒めが出て、私と王社長は、ビールで乾杯しました。
心地よい。

しばらくして、別のお客さんが来ました。
鶏肉を買いに来たようです。
農家の方が歩き回る鶏を指さして、どれがいいか聞いているようでした。
お客さんが「これ」と指さした鶏を農家の方がつかんで家の中へ。
農家の方は、毛を剥いで、首がぶらーんとした鶏をお客さんに渡しました。

私は、「新鮮な鶏肉料理」の意味を理解しました。
日本では、見慣れない光景に少し、びっくりしました。

確かに「新鮮な鶏肉料理」でした。
美味しかったです。
とても貴重な体験をしました。

現在、この農家は、廃業され、営業していないそうです。

翌朝、私は、深セン宝安国際空港から上海虹橋国際空港へ移動しました。
以前勤めていた会社の先輩 Kさんを訪問しました。

Kさんから「ほとんど中国を観光していないやろ。今日は、上海を観光しようや」と提案がありました。
観光客が多い上海の外灘を散歩。
洋風な建物が多く、歴史を感じます。

続いて、予園(明代の庭園)に連れて行っていただき、観光客っぽく過ごしました。


思い出に残る出張となりました。
非常感謝!


Vol 11【中国式歓迎】

2016年1月 中国は、お正月(春節)前で賑わっていました。
この時、我が社は、3名で広東省深セン市の工場視察しました。
フラッシュダック アヒルちゃんの製造を確認しました。


安心したところで王(ワン)社長から夕食のお誘いがありました。
王社長は、2010年からの友達です。
弊社と直接のお取引は、ありませんが、いつもひとりで中国へ行く私を歓待してくれます。


今回も深セン市では、有名なお店とのことで、個室を予約してくれました。
そして、王社長が取り出したのが「白酒(バイチュ)」

中国の白酒は、コウリャンやトウモロコシを原料にした蒸留酒です。
アルコール度数50度~80度。
これで乾杯をするのが中国のしきたり(?)なのです。

1980年~1990年頃、中国へ行ったほとんどの日本人が「白酒」の歓迎を受けたと聞きます。
乾杯をすると、飲み干さなければなりません。
3杯も飲むと、酔っ払って倒れた人もいたという・・・そういうお酒です。

そんな話を聞いた私は、長いこと 王社長と白酒の乾杯は、避けてきました。
しかし、王社長から「今日は、お前のために特別な白酒を用意した」と言われては、辞退できませんでした。
念のためアルコール度数を確認、50度!
ウイスキーより、10度高いが、まぁ大丈夫かなぁ、くらいの気持ちでいました。

乾杯!
1杯目 ~ くぁーっと のどが熱くなり、食道から胃袋までの軌道がわかりました。
正直、きつい!

乾杯!
2杯目 ~ 少し慣れてきました。

乾杯!
3杯目 ~ 美味しいかも。(麻痺していたのかも知れません)

私と王社長の乾杯は、続き、すぐにボトル1本が無くなりました。
この時 私には、「やったぁ、義理は、果たした」という、満足感がありました。

しかし、これで話は、終りませんでした。
気をよくした王社長は、「クルマにもう1本ある」と、言い、私のために白酒を取りに行きました。
「これほど、同じペースで白酒を飲んだ日本人は、いない」とたいそうよろこんでくれました。

こちらのアルコール度数 70度・・・来たな!

その後、どうなったのか・・・記憶が無くなりました。
友達にホテルまで送ってもらう時、クルマを汚したそうです。
(もちろん翌朝に聞いた話です)

この白酒、悪酔いしませんでした。
服を着たままベッドに横たわっていた私は、午前8時にすっきり目覚めました。
そういう意味では、良いお酒だと思います。

ちなみにお酒を水や炭酸で割るのは、日本だけの風習とのことです。
それ以来、美味しいお酒は、なるべく割らないでそのまま飲むようになりました。


Vol 10【中国の四川料理店で 身も心も温まる!】

2015年7月
工場を視察した後、王(ワン)社長に四川料理をごちそうになりました。
工場の方など、6名でのにぎやかな食事です。

こちらは、深圳市龍岡区で有名なお店だそうで、たいへん盛況でした。
外で順番待ちをするようなお店です。

生演奏の琴の音が心に響いてきました。

四川料理のお店なので、麻婆豆腐も出てきました。
知っている料理を前にして、少し安心しました。

ある煮込み料理の具材、赤黒いこんにゃくのような食材がありました。
みなさん、おいしそうに食べています。
私もいただきました。

すると、「それ、豚の血だよ」と言われ、「えーっ!」
「中国人は、何でも食べるからね」

正体がわからなければ、何の問題もありません。
知ってしまった以上、頭の中を「豚の血」が駆け巡ります。
いつも以上にビールが進んだ夜でした。

琴の演奏が終りました。
私だけ、拍手。「?」
少し、恥ずかしい思いをしました。

琴の演奏者が私の拍手に気がつき、こちらを見ました。
私は、手を振ってみました。
演奏者も手を振り返してくれました。
とても心温まる夜でした。


Vol 9【知り合ったドイツ人と出雲大社詣で】

2015年10月
社内旅行で出雲大社へ行きました。
今回は、神戸の元上司を訪問する予定があり、クルマで出かけました。
初日、鳥取県の皆生温泉まで行きました。
朝5時に出発し、着いた時には、日が暮れていました。

宿泊は、リーズナブルなゲストハウスです。
こちらには、共同キッチンがありました。
近くのスーパーで食材を買い、共同キッチンで調理しました。
しばらくして、宿泊客のドイツ人ふたりがキッチンへ来ました。
私たちは、カタコトの英語で彼らと話をし、一緒に食事をしました。

彼らは、ドイツのドレスデンから日本へ旅行に来たそうです。
その旅程が日本人には、考えられないものでした。

彼らは、およそ2週間かけて、列車で日本へ来たと言うのです。

東欧の国々を列車で走り、モスクワへ。
モスクワからシベリア鉄道でウラジオストックまで移動。
その距離 実に9,288km。
北海道最北端「宗谷岬」から、鹿児島最南端「佐多岬」までの直線距離 約1,888kmです。
シベリア鉄道は、気が遠くなるような距離、世界一長い路線なのですね。
ウラジオストックからは、国際フェリーで境港に着いたそうです。

彼らは、生きているうちに列車で大陸を横断したかったと言いました。

私たちは、彼らの話を興味深く聞きました。

2時間も話をしていたら、お酒が無くなりました。
私は、彼らに好みのお酒を聞きました。
ひとりは、ビール、もう一人は、ワインが好きとのことでした。
私は、コンビニへ行きました。

それからまた2時間、彼らからいろんな話を聞きました。

私は、明日 出雲大社へ一緒にいかないか?と切り出しました。
彼らは、行ってみたい!と申し出ました。

翌日の朝、私たちは、彼らとクルマで出かけました。
私の狭い国産車は、ドイツ人ふたりには、窮屈だったと思います。
しかし、彼らは、文句ひとつ言わず、旅を楽しんでくれました。

私は、最初に境港海産物卸売りセンターへお連れしました。
彼らは、売場の方から紅ズワイガニを試食に出され、よろこんでいました。

出雲大社には、午前10時頃に到着しました。
彼らは、出雲大社の広い敷地、荘厳な社殿を堪能し、写真を撮っていました。

最後に玉造湯神社へお詣りしました。

午後1時、ランチです。
せっかくなので、お寿司と思いましたが、ドイツ人からランチにお寿司は、いらないと言われました。
寿司は、値段が高いと思ったのでしょう。

私たちは、そば屋へ入りました。
なにを食べようか?
メニューに写真が無い。
ドイツ人のふたりは、困惑していました。

私は、洋風な料理がよかろうと思い、オムライスを注文しました。
しかし、オムライスは、日本の料理だったのです。
ドイツにこのような料理は無いと言われました。

ドイツ人ふたりは、怪訝そうにスプーンで薄焼き卵を上げて、中のケチャップライスを見ていました。
これは、何かと聞かれ、その説明が私の英語力では、困難を極めました。
なんとなく、トマト味のライスと認識してくれました。
彼らは、一口食べ、味が薄かったのか、醤油をかけながら食べていました。

今思えば、「ざるそば」にした方が良かったかもしれません。
気が利かず、申しわけないことをしたと反省しきりです。

すべての日程を終え、私たちは、ドイツ人をゲストハウスにお送りしました。
「欧米か!」と言えるほど、ハグの嵐・・・私たちの国際交流は、成功だったのでしょうか。

彼らは、ゲストハウスの傍らに置かれている自転車 二台を指さし、来週からこれで奈良まで行くと言いました。
「えっ?」もちろん私たちは、かなり驚きました。
彼らの年齢は、50~60代。バイタリティがありますね。

帰りは、飛行機か?と聞いたら、帰りも列車で帰ると言いました。
欧米では、長い休暇が取れて、いいなぁ~と感じました。
のんびり旅で人生を謳歌していますね。

メールアドレスを交換し、彼らから奈良旅行の写真が届きました。

そして、2か月後、ドレスデンから帰国したとお礼のメールもいただきました。
ドイツ人は、律儀ですね。
私は、行ったことが無いドイツという国に思いを馳せました。


Vol 8【退職記念旅行へ行きました】

2011年に定年退職されたお取引先様 担当者と退職記念旅行へ行きました。
一度も中国へ行ったことがない。中国を見てみたいとの希望で、旅行先は、香港・広東省(深セン市・東莞市)・澳門でした。
香港ギフトショー、中国の工場を視察しながらの旅行です。

今回は、旅行会社のパックツアーを利用しました。(フリープラン)
パックツアーは、香港空港からホテルまでの送迎をしてくれるので楽です。

1月10日に成田空港から香港へ出発。
香港に到着し、香港の添乗員と油麻地のホテルへ向かいました。
ホテルから地下鉄とスターフェリーに乗って香港ギフトショーへ行きました。

展示会場をさんざん歩き、暗くなった頃、尖沙咀へ戻りました。
夕食は、広東道に面した「台湾牛肉麺」店。
紹興酒を飲んで楽しい時を過ごしました。

☆ガイドブックにも載っている「台湾牛肉麺」店、今はビルの中に移転しています。

食後、油麻地のホテルまで散歩。
尖沙咀から油麻地、疲れた足には、けっこうハードでした。
観光しながら、1時間くらい歩いたと記憶しています。

お連れしたお取引先様は、映画でもよく見かける路上に貼り出した香港の看板をよろこんでくれました。
「うわーっ、香港を感じます」と。
奥様が他界してから娘さんを育てるのに必死で今まで旅行は、したことがないとのことでした。
よろこんでいただいて、私もしあわせでした。

1月11日
午前中、香港ギフトショーへ行きました。
午後からいよいよ中国広東省深セン市へ。
まったく問題なく「羅湖駅」へ着きました。
現地で友達に合流しました。
そのまま東莞市の工場を視察。

工場の方と夕食を共にしました。
楽しい雰囲気のまま、その夜は、東莞市のホテルに宿泊しました。

1月12日
友達に蛇口港へ送ってもらい、澳門観光へ行きました。
蛇口港のレストランで食事をするつもりでしたが、満席。
みんな食事は終っているのにレストランを出る気配なし。
出航前までレストランで休憩するのだとわかりました。

1時間ほど待って、ジェットフェリーが港に到着。
イミグレーションで出国の印をパスポートに押されて、無事に乗船。
船内でカップラーメンを食べました。

私たちは、澳門のフェリーターミナルから聖ポール寺院跡地まで歩きました。
私は、若かった・・・が、お取引先様は、還暦を過ぎているとは思えない脚力。
なにひとつ文句も言わず、約1時間歩きました。


聖ポール寺院を観光して、まず観光客が歩くことのない裏道を散歩しました。
学習塾帰りの児童が現地のおでん屋で小腹を満たしていました。
まったく想定していなかった仏教寺院に出くわし、お参りしました。
立派な仏像がありました。

途中で道に迷い、警官に道を聞くも、ポルトガル語で話され、チンプンカンプンでした。
私たちは、グランドリスボアホテルを目印に歩きました。

グランドリスボアホテルに到着、私たちは、スロットマシンに挑戦しました。
お取引先様は、真剣にスロットマシンに興じておられます。
すると、隣に座った中国人の婦人がなにやらお取引先様にスロットマシンの指導を。
その後、まさか!・・・約5千円分の香港ドルが・・・出てきました。
(この人、なにか持ってる!)
私は、お取引先様に夕食をごちそうになりました。

澳門のフェリーターミナルから香港へ移動。
楽しい一日でした。

1月13日
何のトラブルもなく、日本へ帰国。

その後、お取引先様とは、お会いしていません。
健やかにお暮らしでしたらうれしいです。
ありがとうございました。


Vol 7【なにかとトラブルがありました】

2012年4月
私は、ある社長を広州交易会、香港Gift Showに誘いました。
ふたりで成田空港から香港へ向かい。
香港のホテルにチェックイン。

私たちは、荷物をホテルに置いて、電車で広東省深セン市(羅湖駅)に行きました。
中国人の友達と羅湖駅前で待ち合わせをしていました。

私たちが尖東駅から乗った電車は、香港MTR 西鉄線です。
尖東駅から乗り、ホンハム駅で東鉄線へ乗り換えが必要でした。

西鉄線と東鉄線は、まったく同じ車両です。
アホな私は、これに乗れば、深セン市(羅湖駅)へ行けると信じ込んでいました。
私は、ホンハム駅で降りる乗客を横目に余裕の表情で電車に座っていました。

しばらくして、電車は、もと来た方へ走り出しました。
「えっ?」
西鉄線は、ホンハム駅で折り返し運行されているのです。
私たちは、振出し(尖東駅)に戻りました。

再び、西鉄線に乗車、ホンハム駅で東鉄線に乗り換えました。
再び、私は、気を許した!

東鉄線は、中国(深セン市)へ行きますが、落馬洲駅行きと羅湖駅行きがあります。
私たちは、中国人の友達が待つ羅湖駅へ行く予定でした。
しかし、私たちが乗ったのは、落馬洲駅行き。
分岐の上水駅を過ぎて、私は、「あれ?」・・・間違ったことに気がつきました。
私たちは、またまた落馬洲駅から上水駅へ戻り、羅湖駅行きに乗り換えました。

私は、友達と約束した時間を30分過ぎていたことを気にしていました。
しかし、イミグレーションで香港を出境、そして中国へ入国 → いろいろ手間どって1時間の遅刻。
この二度の手続きが不便でした。
(今でも同じだと思いますが・・・)
当たり前のことですが、おとななら時間には、余裕を持って!をつくづく感じた次第です。

現地(羅湖駅)で中国人の友達と合流。
遅刻して謝る私に彼は、いつもの笑顔でした。心から「謝謝!」

今度は、深セン市のホテルにチェックインして、食事へ出かけました。
当時、深セン市のホテルは、一泊3000円程度。
気軽に泊まることができました。
(今、このホテルは、オフィスビルになっています)

翌日から日本人ふたりでの行動。
ふたりとも中国語がしゃべれません。
緊張感が漂いました。

ホテルを出て、地下鉄に乗り、深セン駅(羅湖駅)へ。
ここから広州交易会へ行くために中国鉄路高速(和諧号)広州東駅までの切符を買います。

深セン駅で切符を買う時のことです。
駅員に「別々か?」と聞かれました。
私たちは、切符の支払いがそれぞれ別に・・・の意味ととらえ、「別々」と答えました。
すると、指定された座席は、一番前の車両と一番後ろの車両でした。
中国語が不得手な私たちは、何も言えず、約1時間ほど別々の車両で広州東駅へ向かいました。
今思うと恥ずかしい思い出です。

広州交易会場では、約4時間過ごしました。
つたない英語で出展者と情報交換できました。

広州交易会

帰りの深セン駅行きの中国鉄路高速は、満席。
それでも席は別々ながら、ふたりは、同じ車両に乗れました。

中国では、よくあることとは、聞いていましたが、私の指定席に誰かが座っています。
私は、切符を見せて、どくように促しました。
2~3分、知らん顔をされましたが、私もしつこくどくようにボディランゲージしました。
彼は、私に(たぶん)悪態をついて、座席を離れました。

深セン駅についてから、どーんとトラブル。
改札を出ようとして、駅員に切符を渡したところ、大声で怒鳴られました。
「なに?」・・・切符をよく見ると、行きに乗った時の切符でした。
広州東駅では、改札で切符を回収しませんでした。不覚です。

私は、帰りの切符を探しました。なかなか出てきません。
私が誘った社長は、先に改札を出て、待っています。
怒鳴られても中国語がわからないので困ります。

私は、日本語で駅員に「ちょっと待って!切符を探すから」と大声で言いました。
しかし、伝わるわけがありません。
見物人の人垣ができて、いやーなムードでした。

この騒動で駅事務所からネクタイ姿の(たぶん)えらい人が出てきました。
その時、私は、シャツの胸ポケットに切符を入れたことを思い出しました。
「切符、あった!」
私は、駅員に切符を渡し、「OK?(これでいいんだろ!)」と問いかけて、改札を出ました。
およそ5分ほどの出来事ですが、私は、ものすごく緊張し、暑くもないのに汗が・・・
今でも忘れられない思い出となりました。

改札を出た私に待っていた社長は、「大丈夫?」と問いかけました。
「切符がなかなか出てこなくて・・・待たせて、すみませんでした」
ほっとして、ふたりして大笑いしました。

我々は、何事もなく香港(尖沙咀:チムサーチョイ)に着きました。
その夜は、香港で宿泊です。
(英語が通じる香港へ入ると安心できました)


香港 男人街の路上レストランで夕食をとりました。
路上レストラン、今もあるのかしら?
ここは、衛生面を気にしなければ、安くて美味しかったです。
お店のトイレは使えません。公衆トイレまで5分歩くのがつらかったです。

一晩、香港で過ごし、香港Gift Showへ行きました。
尖沙咀からスターフェリーに乗って、湾仔(ワンチャイ)で下船。
私は、いつ香港へ来てもこの7分の船旅が一番好きです。

香港Gift Show、コンベンションセンターが広い。
前日の広州交易会でもかなり歩きました。

私たちは、かなりがんばって、出展者と情報交換しましたが、疲れて 午後4時には、会場を後にしました。
スターフェリーで尖沙咀へ着いた時、急に大粒の雨に降られてびしょぬれになりました
しかし、大きなトラブルはありませんでした。


その夜、私たちは、ジェットフェリーで澳門へいくことにしました。
尖沙咀駅から地下鉄 荃湾線に乗って、香港島の中環(セントラル)駅で下車。
私は、澳門行きのフェリーターミナルは、中環だと思い込んでいました。
ところが澳門行きのフェリーターミナルは、ひとつ先の上環(スンワン)駅でした。
ひと駅なので、ふたりして歩くことを選択。雨降る夜にビクトリア湾を眺めながら約30分の散歩となりました。
またまた、お連れした社長にご迷惑をかける結果となってしまいました。穴があったら入りたい心境でした。

雨に濡れた夜のセナド広場は、ライトアップされてきれいでした。
坂を上り、聖ポール寺院跡へ。厳かな空間と時間を感じました。
午後8時を過ぎて、私たちは、澳門で夕食を食べました。
お店は、閉店時間でしたが快く私たちを入れてくれました。
ありがとうございました。

ここは、セナド広場に面した観光レストランでしたが安くて美味しかったです。
今回、唯一の観光です。
(この頃まで澳門の物価は、安かったのです)

翌朝、私たちは、女人街で朝食を食べて、香港国際空港から成田空港へ向かいました。
飛行機の出発がかなり遅れました。


飛行機は、成田空港へ午後10時頃到着。
成田空港のイミグレーションを出たら、東京まで行く電車・バスが無い。
京成本線で行けるところまで行って、タクシーで帰宅となりました。
これまた、忘れられない思い出です。

余談ですが、
もうひとりの社長は、埼玉県にお住まいでした。
後日、タクシー代、3万円超えたと聞きました。
トラブル続きの旅で申しわけない思いでいっぱいです。


Vol 6【会社設立後のお話し】

2008年5月、会社を作ってみたものの、まだ営業力が無く、苦しい運営を余儀なくされました。

自転車営業でコストダウンを図るより、先ずは「生活費」ということを痛切に感じ、午前4時から午前8時まで働ける宅配便の荷物仕分けのアルバイトをしました。
午前10時からは、会社の営業活動ができます。
私には、ありがたいアルバイトでした。

宅配便の荷物仕分けは、かなりたいへんです。軽い荷物ばかりではありません。
箱入りの酒類、ミネラルウォーターは、10kg以上あります。
大きな布団や取扱注意の高級衣類、神経を使います。

2人~3人で荷物を5台~7台の配送車へ仕分けします。
これを配送順路に従って、配送車へ載せていきます。
頭が悪い私は、配送順路の番地を理解するのに半年くらいかかりました。
たまに間違って別の配送車へ荷物を載せてしまうことがありました。
その場合、全部の配送車から荷物を降ろして、探し回ることになります。

また、配達日指定の荷物が見つからず、倉庫中を探したこともありました。
宅配便の荷物仕分けは、重労働ですが、筋肉強化ができます。
倉庫を走り回るので、心肺機能も上がります。

ただし、怪我をすることもあります。
ある時 私は、クール便の配送冷蔵庫(約300kg)に足を挟まれ、骨折しました。
全治2ケ月。
私は、生まれて初めて「労災」認定を受けました。

その後、頼まれてコンビニでのアルバイトを加えました。
50代になり、体力が落ちてきました。

アルバイトをしていた頃の睡眠時間 およそ4時間。
無理がたたったのでしょう、2016年 私は、椎間板症になったため、すべてのアルバイトを辞めました。
当時は、つらかったことが今は、思い出です。

私は、よく「サラリーマンを辞めて、会社を作りたい」という方から質問を受けます。
「それは、やめたほうがいいですよ」と答えます。
会社経営は、良いことばかりではありません。
自分の生き方を冷静に考えた方が良いと思います。


Vol 5【会社設立前のお話し】

2007年 会社を設立するための1年間は、とてもいろんなことがありました。
お金を節約するためにママチャリで営業活動を行っていました。私は、まだ40代半ば、体力はありました。
都心まで行ってしまえば、ママチャリは、行動しやすい乗り物でした。

新宿-自転車駐輪

主に船橋市から新宿へ行くことが多かったです。距離 約35km。
都会は、信号が多くて、なかなか進むことが出来ません。甲州街道や靖国通りは、ずーっと上り坂です。
足がつります。
中央区

新宿までは、最初3時間かかりました。電車なら1時間足らずです。
1度走ってみて、かなり疲労が激しいかったので、もうやめようかと思いました。
しかし、ここでやめては、何をやっても途中で投げ出しそうだったので、次の日もママチャリで新宿まで行きました。
そのうち慣れてきて、一番早い記録は、2時間10分です。
平均でも2時間30分となりました。
浅草橋

夜も9時を過ぎると、都内をママチャリでスーツ姿の男は、髙い頻度で警官に職務質問されます。
神田(千代田区)~浅草橋(台東区)は、確実に職務質問を受けました。
同じ日に3回 職務質問を受けたことがあります。
まず「ご自分の自転車ですか?」と聞かれ、防犯登録証のチェックを受けます。
次に「どちらまで?」と聞かれます。
「船橋市まで」と答えると「えーっ!」と驚いてくれました。
素直に答えただけなのですが・・・

夜の神田

お取引先様へ行ったときには、私のママチャリを見て、「事務所をこの近くに構えたのですか?」という質問が多かったです。
「いいえ、船橋市から来ました」と言うと、やはり「えーっ!」と驚いてくれました。
ほんと、素直に答えただけなのですが・・・

この先、自分は、どうなるのだろうか?
不安を抱えながら、ペダルを踏んでいたことを思い出します。
時にママチャリを止めて、きれいな景色に見とれていました。

皇居

隅田川-浅草橋

一番遠いところでは、中野(中野区)から大崎(品川区)まで行ったときです。ざくっと、往復で86km走りました。
電車などの交通機関のありがたさ、身をもって知りました。

私は、この移動手段をあまりお勧めしません。
しかし、ダイエットには効果があります。
1年後、体重が10kg減りました。


Vol.4【干支のぬいぐるみの祈願】

干支のぬいぐるみを発売していく中で
微力ながらお買い上げいただくお客様のしあわせを願うために
2012年(平成24年)から出雲の神々へ参拝して参りました。

左から 斐伊神社, 須佐神社

 
毎年 10月~11月に
・出雲大社
・美保神社
・玉造湯神社
・須佐神社
などへ参拝し、皆様のご多幸、ご健勝を祈ってまいりました。
中には、険しい山道を登るような階段を、時間をかけてひたすら歩き、じっくりと参拝いたしました。

出雲大社

荘厳な感じがします

出雲大社神馬神牛像
例年だと手で触れることができたのですが・・・
衣毘須神社
滿汐になるとたどり着けません

佐太神社

今年はコロナ禍で暗い一年となりました。
来る令和3年は、皆様がしあわせに過ごされることを願っております。
感染に留意しながら、このウイルスを気にせず、生活できるようになることを切に望みます。


Vol.3【2013年10月 Kさん、Iさん【SNSで不思議な出会い】】

2013年の秋、私は香港MEGA SHOWを視察する準備をしていました。
たまたま、2012年から始めたSNSで以前いた会社の先輩と知り合いました。
それまで先輩とは約20年間 音信不通でした。
連絡先も知りませんでした。

先輩はすでに会社を辞めて 中国 広東省 深セン市で仕事をしていました。
アホな私と違い 中国語はネイティブ状態。
中国でバリバリ仕事をこなしていました。

私は、先輩とSNSで連絡を取りました。
先輩は私に会いに香港まで来てくれると言いました。

私たちは香港島の香港駅で待ち合わせをしました。
私は 海外で、20年もお会いしていない日本人の先輩と香港で久しぶりにお会いする「不思議」を経験しました。
私たちは20年の空白がなかったように食事をし、昔話に花を咲かせました。

私は先輩に明日 中国(広東省 深セン市)へ行くことを話をしました。
先輩は「明日も深センで会おうや」と言ってくれました。

翌日、私の友達(中国人)と3人で夕食しました。
青島ビールがいつもより美味しかったです。

2014年にはさらにSNSで以前いた会社のもうひとりの先輩とも知り合い、3人で澳門へ行くことができました。

その後、先輩は2015年に上海へ異動。
私は先輩を訪ねて 上海へも行くようになりました。
インターネットでの不思議な出会いです。


Vol.2【2005年 香港からマカオへ】

2005年7月 私は、ある小売りチェーンのバイヤーを香港の展示会へアテンドしました。
その時は、台湾出身のメーカーさん、電気小物のメーカーさんと一緒でした。
台湾出身のメーカーさんは、その後 日本人に帰化します。
台湾の人は、日本が好きですね。

我々は、展示会場を視察し、夕食後、台湾出身のメーカーさんが「今からマカオへ行きませんか?」と言いました。
午後10時になろうかという時刻です。
「こんな時間にマカオへ行く船があるの?」みんなは、彼に聞きました。
「マカオまでの船は、24時間動いているよ!」
驚いたことにその話は、事実でした。

深夜、香港からマカオまでの船旅は、危険なこともあるのでおすすめしません。
私たちは、意を決して、深夜にマカオへ旅立ちました。
尖沙咀から上環フェリーターミナルへ着いたのが午後11時。
ここからマカオまで1時間ジェットフェリーに乗りました。1時間後、船からマカオが見えました。マカオは、明るく光り輝いていました。

マカオのフェリーターミナルからセナド広場までタクシーに乗りました。
私達は、有名な観光地 聖ポール天主堂跡が見たかったのです。
ところがタクシードライバーに英語が通じません。マカオは、ポルトガル領だったので約100年 ポルトガル語が公用語でした。
当時は、英語を話す人が少なかったのです。
タクシーはあるホテルに停まりました。ドライバーは、ホテルのドアボーイに通訳を頼んでいました。
実は、ドアボーイも英語が得意ではありませんでした。
何とか、タクシーでセナド広場にたどり着き、我々は、誰もいない聖ポール天主堂跡を観光しました。
当時のデジカメは、夜の写真に適していません。フラッシュを焚くと人しか映りませんが良い思い出になりました。

我々は、カジノで軽くスロットマシンに挑戦した後、午前3時のジェットフェリーで香港へ戻りました。
残念ながら誰もスロットマシンで良い思いはできませんでした。


Vol.1【香港・中国へ】

私が香港・中国へ初めて渡ったのは、2004年です。
ある社長達に誘われるがまま、1月に香港のTOY&GAME SHOW(展示会)へ行きました。
香港は、1995年にイギリスから中国へ返還されてから9年経っていました。
この時の香港には、まだ燃えよドラゴンなどでおなじみのブルース・リー的な懐かしさがありました。
道路まで張り出した大きな電飾看板。白いシャツから汗を吹き出しながら働く人々。
九龍公園で太極拳を楽しむご老人方。私には、懐かしい世界でした。

この時、私が困ったのは、言葉の問題。
香港は、英語でコミュニケーションが取れます。
しかし、私は、英会話が得意ではなかった。
カタコトの英語・・・英単語でやり取りしたことを思い出します。


2004年の4月、私は、香港のギフトショーへ行きました。
この頃、香港 九龍の街は、いろんなところで工事が行われていました。
ひとつは、ビルの改築です。
ジャッキー・チェンの映画でもよく出てくる竹の足場をいたる所で見ました。
もうひとつは、地下鉄の路線延長工事や地下歩道の工事でした。


やがて2010年頃から九龍 尖沙咀(チムサチョイ)は、きれいで便利な街に変わっていきました。

私は、香港ギフトショーの合間に電車で広東省深セン市へ行って来ました。
2003年に知り合った中国の友達が深セン市に住んでいました。
タクシーでホンハム駅へ行き、KCR(今は、MTR東鉄線)で羅湖駅で下車しました。
ここで生まれて初めて中華人民共和国の地を踏みました。
日本人は、中国へ入国するのにビザの取得が必要ありません。
しかし、中国のイミグレーションは、笑顔が無い重い雰囲気でした。
私は、とても緊張しました。
まだ、スマホで国際電話を頻繁にかけられる環境ではありませんでしたが私は、深セン市の友達とスムースに会うことができました。


中国側の羅湖駅前は、大々的な工事中でした。
道路も工事中だったため、クルマは駅まで入って来られませんでした。
私達は、工事の現場を迂回し、駅から約1km先に駐車していたクルマに乗り込みました。

私は、友達に中国の工場を案内してもらいました。
工場には、地方から出てきた工員さんが多く、住み込みで働いていました。
彼らの月給は、日本円で4000円~8000円。
彼らの服装は、衛生的ではありませんでした。彼らが支給される食事も豪華ではありませんでした。
(今の中国の工場は、かなり近代的に変貌しています)
私が子どもの頃の日本を思い出しました。
日本のトイレは、汲み取り式が大半でした。肉屋のコロッケやカレーライスがごちそうでした。
やがて日本の大都市には高層ビルが建ち始め、空はスモッグで覆われる。
中国は、この道を歩き始めたことを知りました。


2004年9月、私は、100円玩具の買い付けのためにある玩具メーカーの社長と広東省汕頭市へ行くことになります。
今でこそ広東省汕頭市へは、新幹線(中国鉄路高速:和諧号)で楽に行くことができます。
当時は、新幹線がありませんでした。私達は、深セン市からバスで汕頭市を目指しました。

汕頭市へは、約4時間かかります。夕方乗ったバスの車窓から大地に沈み夕陽を見ました。
私は、日本で海に沈む夕陽を見ることはあります。大地に夕陽が沈むのは、この時が初めての経験でした。
どこまでも続く大陸の大地に夕陽が沈む姿を見た時、「こんなに広い世界があるんだぁ!今まで何をくよくよ悩んでいたのか?」と思いました。


初めて行った汕頭市のホテルで私は、パスポートを無くしかけました。頭の中は、真っ白。
結局、私のパスポートは、ホテルのフロントにありました。日本のホテルのように宿泊客に紛失物を連絡してくることはありません。
すべてが自己責任の世界です。それ以来、私はウェストポートで財布やパスポートを管理することにしました。
いつも決まったところに必要なモノを入れておく管理方法にしました。


翌日、玩具メーカーの社長と玩具商社や工場を見に行きました。
玩具メーカーの社長は、ギャンブルもやらなければ、お酒も飲まないストイックなタイプ。
ところが玩具の話となるとサンプルで子どものように遊び始めました。遊んで製品の良否を判断しているのです。
まさしくプロフェッショナル!私に欠けているところを垣間見ました。
この玩具メーカーの社長とは、今でもお取引があります。

私は、その翌日に汕頭市を後にして、ひとり バスで深セン市へ向かいました。
バスに乗る時、玩具メーカーの社長が「ほんま、帰りはりますの?」と言いました。
私には、帰る理由がありました。私は、東京-香港の安い航空チケットを買っていました。
このチケットは、乗る飛行機が決まっています。乗る日の便を変えることができなかったのです。
そんなわけで、私は 汕頭市 → 深セン市(羅湖駅) →イミグレーション→ 羅湖駅(香港) → 尖沙咀(チムサチョイ)へ戻りました。
私は、まったくトラブルが無く、翌日 日本へ着きました。

2004年、私には忘れられない年です。